top of page

臨床の考え方は日々変わる



どうもリハスクの青木です。


若手の頃に感じていた臨床について。 私は現在の急性期病院や大学教員として従事しておりますが、以前は、外来、通所、訪問などの幅広い分野の経験があります。 特に印象的だったのは、外来リハから訪問リハへ異動になったときの、ギャップを感じたのことです。 寝たきり重度認知症の人の担当をしていたことがあります。 リハビリの依頼目的は家族の希望により介入をしていました。 やることはザックリといえばROM、起居、車椅子乗車が主です。 あまり介入が不快にならないように愛護的に、体の全身が緩むようにしてます。 家族は車椅子乗車を少し上手く乗せる、明るい表情を引き出すだけでも満足してくれます。 これってすごくないですか? なにが?と思った人もいます。 自由診療、外来リハではこんなことはありえないのです。 そのとき、感じたのはこれはこれでいいんだと素直に思えたこと。 新人のときの僕だったらそれはありえなかったんです。 「ただ、車椅子乗せるだけ、意味あるの?」 「こんな人にROMやってただの点数稼ぎじゃん」 と言った具合に批判的な視点が強かったんです。 それにより、無力さも同時に感じました。 そして、私は重度認知症そのものを治癒することは不可能だと感じていました。 確かに、困難なことではあるが、今の表出したコミュニケーション自体に刺激を柔らかく与えることは可能であり、いつもと違う一面を家族が垣間見ることは非常に有益なものなんだろうと思いました。 そのとき、リハビリテーションの良さを感じる。 結果を求めたい治療家でありながら、こういう感情がでてくるとは思いませんでした。 だからこそ、分野、領域のそれぞれの視点を大事に個々の治療介入ができればいいんだと思えました。 これは決して、無力感からくる開き直りとは違います。 日々、マインドそのものも変化していることによって、捉え方も日々、変化が感じられるものです。 無力感を感じた経験はないですか? そんなときはいつでも相談に乗ります!

閲覧数:12回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page