皆さんは生活の中で誰かと自分を比較したりすることはありますでしょうか?
何を比較するかは人それぞれであると思います。
例に挙げると ・身長 ・体重 ・足の大きさ ・性格 ・顏 ・知的能力 ・年齢 ・身体能力 ・生活能力 ・社会的能力 ・出身地 ・地元 ・友人 etc
まぁたくさんあるかと思います。
一般人もそうだと思いますが、この職種は比較することが大好きです。
なぜかと言えば、クライアントを評価する上で、健常と言われている人とどの程度乖離があるかを細かく評価していくからです。
機能解剖でも・・・
「本来のアライメントであれば○○できるはずだが、この患者さんは○○という問題を抱えているので、なかなか同じ動きはできない」
そして、それは主観よりも客観的評価を重要視します。
比較研究にしても同じことが言えます
「A群とB群を比較したら、A群が有意であった。」
そのうち、それが自分にも客観的な意識として向けられていくのです。
これは良さと自分で測る物差しのバイアスが混ざっていると思います。
また、バイアスを削り、自分を過小評価していく傾向があります。
自分を過信しすぎるのも良くないですが、過小評価しすぎも良くないです。
結局は塩梅が重要なわけですが・・・
ここで本題に入るわけです。「自分との闘い!?」にどう向き合うか。
誰かと比較することで負けない気持ち、モチベーションに繋げることはとても「良」とします。
あくまで私見として捉えて欲しいのですが、他人に勝つという行動はなかなか難しいことです。何かを競うあう。スポーツ魂としては素晴らしいものがあると思います。スポーツには
それは欠かせないですよね。
ですが、スポーツにしても、セラピーにしてもですね、最後は「自分との闘い!?」なんだと思います。
「あの同期のセラピストに負けないようにやろう」
そう思ったモチベーションでやる人がいたとしたら、かなり不安定なモチベーションと私自身捉えます。
なぜなら、その同期のセラピストがいなければ「サボり」出すからです。
常に比較対象を追い続ける気持ちがあればいいですが・・・。これはなかなかできないことです。
組織で言えば「上司」という立ち位置になった時に勉強しなくなります。自分より上がいないからです。
考えてみてください。オリンピックの金メダルリストは1位になりましたが、誰と比較しているのでしょうか?恐らく、自分自身と闘っているのではないでしょうか?
だからこそ、本質を捉えて、目の前に関わっている「クライアントのために勉強しよう!」
そういう意識が向いた時に人は行動していくものだとしたら、日々の努力量は一定水準を保つことができると思います。
結局ですね、一時的な頑張りよりも日々の努力を研鑽していくほうがセラピストは向いていると実感します。
その「自分自身と向き合う」ことができることで周りから自然と認められていく。
常に習慣つけて学ぶ姿勢大事です。時には投げ出したくなることもありますが・・・。辛いことでもあります。
そして、自分自身と向き合えないからこそ比較し出すわけです。「あのセラピストはすごい考えてセラピーできているな〜」と・・・。特に論文見たり、学会に行くと思ったりしませんか?
熱い気持ちで考えて発信していく。とても良いことですが、きっと同じことでその登壇しているセラピストも悩み、苦しんでいて、自分自身と向き合っていると思います。
したがって、比較などせず、今の「自身」を見て、前を向いて研鑽していく。
自身と向き合うことで、周りの支えもあり今の自分が存在できていることを実感できると思います。
決して、「上司・先輩が怖いから勉強しないと・・・」など思わないでいただきたい。その意識は患者さんのためにならないですし、良いセラピーになるはずがありません。
関わっている人のために何が必要か?
そこを考えていただきたいです。
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